サンダルの思い出-「暑すぎる夏」の1
サンダルのまえに、
実は素足なのだが、
実は素足なのだが、
日常社会生活のなかでは、
他人のソレを「意識する」ことはほとんどない。
他人のソレを「意識する」ことはほとんどない。
てか、
暑い夏以外には概ねソックス等で覆っているので、
素足を人前でさらすことは通常はない。
素足を人前でさらすことは通常はない。
その暑い夏にしても、
いわば「公式」の場面では(薄いとしても)靴下や靴を履く。
いわば「公式」の場面では(薄いとしても)靴下や靴を履く。
あちしは皮製のサンダルを二足持っている。
下駄も昔から履き続けている。
下駄も昔から履き続けている。
が、
その合理的履物は「正装」概念から排除され、
裸足とともに「リゾート」概念とされ、
裸足とともに「リゾート」概念とされ、
ギリシァ文化ともども、
日本文化も同時にサブへと追いやられた。。
日本文化も同時にサブへと追いやられた。。
思春期のある夏休みに、
ある同級生女子の「素足にサンダル」が、
爽やかに非日常=わが自然として印象的だったのであったのでアル。。
ある同級生女子の「素足にサンダル」が、
爽やかに非日常=わが自然として印象的だったのであったのでアル。。
以下に、
後日の「連想詩」としてでてきたものを載せて、
・・・また、つづく。