「平和主義者」は「差別区別」を好む「冷血」でありんす
(ゆうすげの恋つき)
イレズミやくざサンが、イレズミ拒否の銭湯へ、
それなりに気を使って入ったラ、
昔は銭湯にイレズミさんは来てたし、
背中流しのにーさんにも一部いたよーで、
銭湯だって一種の公共施設ナンだカラ、
イレズミをファッションと位置づければ、
こりゃむしろ人権侵害で銭湯側が告発されるべし。
・・・あれこれはマタマタ後日あれこれ記事で、
として、
「自由」と「民主」、及び「国際」ってー概念ハ、、
「商人」の利益優先発想であってサ、
「稼ぐ」という行為はすでに「戦争」なのであるカラ、
「相対多数」者の「絶対性」はすでに「差別」の温床でRR。。
「金銭・数土俵」上での「敵味方」は、
「勝てば官軍=正義」で、
「負ければ賊軍=無人格」扱いの、
単なる「相対価値の絶対化」という詐欺にすぎない。
付録は、
ダカラ「正直」に「恋・愛」を、
ただし「曖昧な月」がこそもたらす「幻影」を、
して「錯覚」かもしれないトコロの、
しかし「美しい」には違いない、
なぜか「黄色」にまつわる一つの歌謡「ゆうすげの恋」どす。
ダカラ「正直」に「恋・愛」を、
ただし「曖昧な月」がこそもたらす「幻影」を、
して「錯覚」かもしれないトコロの、
しかし「美しい」には違いない、
なぜか「黄色」にまつわる一つの歌謡「ゆうすげの恋」どす。