ニャホンでは「友だち」の多いヤツほど信用してはアカンとか
そーゆーよーな分析てか意見てかがどっかにありやんした。。
同感!! どしたなー。
例の、
絶対に「友だち」などいないタモりがやってる、
「友だちの輪」番組よろしく、
それをいっぱい揃えている、てか、
そのつもりでいる「営業づきあい」、てか、
「利害得失」の安定平和を前提の「暇つぶし仲間」、
ニャホンではこれを「友」と呼ぶ。
絶対に「友だち」などいないタモりがやってる、
「友だちの輪」番組よろしく、
それをいっぱい揃えている、てか、
そのつもりでいる「営業づきあい」、てか、
「利害得失」の安定平和を前提の「暇つぶし仲間」、
ニャホンではこれを「友」と呼ぶ。
みんなのダイスキな西洋ほか他地域デハ、
ありえねーー。
ありえねーー。
そんな淋しい嘘っぱちで「人・間」を維持しない。
てより、
侵略・戦争の連続下にあっては、
それは命取りになるわけで、
てより、
侵略・戦争の連続下にあっては、
それは命取りになるわけで、
実は、ニャホンでも、
戦国-江戸以前は、
そんな淋しい幼稚な関係はなかったはずでアル。
戦国-江戸以前は、
そんな淋しい幼稚な関係はなかったはずでアル。
むろん、
利害関係が一致すれば、
ともに繁栄する限りにあって「友」ではありうるが、
そこではギブアンドテイクの均衡が前提であって、
・・実はコレを「友」とは言わない。。
利害関係が一致すれば、
ともに繁栄する限りにあって「友」ではありうるが、
そこではギブアンドテイクの均衡が前提であって、
・・実はコレを「友」とは言わない。。
困った時が真の友、
遠くの血縁よりも近くの他人、
(ここでの遠近は精神的距離を含む)
カネは天下のまわりモノ、
ジンセイ楽ありゃ苦もマルサじゃねーアルサ、
遠慮は損慮、
・・・などなど、
遠くの血縁よりも近くの他人、
(ここでの遠近は精神的距離を含む)
カネは天下のまわりモノ、
ジンセイ楽ありゃ苦もマルサじゃねーアルサ、
遠慮は損慮、
・・・などなど、
に、至るには数々の「本音トーク」による相手理解が基本でアルが、
そもそも前述期以来のニャホンには、
その基本自体が育ち得ないで来た。
その基本自体が育ち得ないで来た。
これらは後日「ことわざ」ほかの「現代文講座」として、
ただし、読み取りではない実践として、
ただし、読み取りではない実践として、
ほかほか、
で、
で、
かつては人並み以上に「友(だと錯覚していた-笑)人数」がいた経験から、
どこでどー「間違った(笑)」か、
たぶん27歳前後からの、
どこでどー「間違った(笑)」か、
たぶん27歳前後からの、
して、
元へ戻ると、
元へ戻ると、
「今時の友」のいないことをこそ、
むしろ「真の友」へのアプローチだと誇り得るなら、
「自然の友」が増え、
「友の美学」がこそ屹立するから、
「孤独と孤立」を恐れるな・・
その自己への「尊厳」なきところに「友」は生じない、
むしろ「真の友」へのアプローチだと誇り得るなら、
「自然の友」が増え、
「友の美学」がこそ屹立するから、
「孤独と孤立」を恐れるな・・
その自己への「尊厳」なきところに「友」は生じない、
てーところで、
「眠り眼」のカン政権、
この世はまだまだ「寝言」の蔓延のよーどすな。。
「眠り眼」のカン政権、
この世はまだまだ「寝言」の蔓延のよーどすな。。