「自己証明?」というもの・・(復刻記事2)
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●「自己証明?」というもの●(02/11の復刻) 必要あって、とうとうパスポートを獲得した。 5年旅券で、金一万円也の印紙費用である。 写真をはじめ戸籍謄本だの住民票だの、ついで印鑑証明だので、 こまこま出費、合計一万二千五百円也で獲得した。 海外へ行こう、というのではない。 早い話が、要するに「身分証明」のためである。 で、12,500÷5=2,500てことで、年間二千五百円也で やっと「私が私である身分」が確定した。 そもそも、戸籍謄本や住民票や健康保険証によって、 「私が私である証」をなしえない、すなわち、 顔写真のないことによって、「私は常に疑われている」、 というのも、たとえば預金定期解約や不在郵便の受け取りならば、 顔写真までは要らないものが、 実印登録のレベルになると要るのである。 実はかつては要らなかったのだが、いつからか要るのである。 運転免許証、学生証、社員証、そしてパスポート、 よく考えてみれば、これらは必要がなければ持たないはずのものである。 この中で社員証に関しては、これひょっとしたら、 自分で勝手に会社を作れば自分で発行できるのであろうが、 実際に稼動していないペーパーカンパニーでは詐欺にもなりかねないし、 形を整えるには事務所もどこかへ作る必要経費てことで、 結局、どこへ行く当てもないのにパスポートを作ることにした。 当然、申請にあたって、上記写真つき証明を持たないため、 印鑑証明と保険証で「証明」したのだが、 印鑑登録は「写真つき保証人」の「保証」でとったものだから、 顔がなくても有効となるらしい。 で、ともあれ、私はやっと私自身で私を証明できることになった。 めでたしめでたし。 要するに、住民登録証を写真つきで発行すれば済むことを、・・・
(Now後注:現在は「住基カード」ならば金500円也で作れるよーになったので、必要があればそーすべっか。。とも考えトリまんが、「住基ネット」たるモンが気に入らんので、やっぱし海外へでもゆく予定を構築してパスポート再発行にせむか、とかとか中・・・)
・・・要するに、identityたるものを尊重しないこの国の、 何でも組織・集団依存の、「疑い深い」にもかかわらず、 「信じやすい」前近代性は、やっぱり私が「安住」しえないところの、 「仮の宿」にもつきまとう、「町会」だの「大家」だのという形で、 しかしながら、結局は、私を次の「観光」へと誘ったにはちがいない。 ともあれ、現在地を12月には「出奔」することになって、 その流れの中で、「旅券」を身分証=IDカードとして獲得したことは、 なにやら「関所通行手形」を所持した気分でもある。 やっぱこの国は江戸時代だと考えとくほうが分かりやすい。 ひとつ違う点は、鎖国をしていないので、 「通行手形」は世界的手形だという点だ。 次の「観光」的「安住」は、いっそハワイにでもしようか、 とも考えないわけでもないが、 当面私が日本人である限り、日本にも「観光」の位置を定めておかざるをえない。 わけだから、 夏以来、その「観光」位置を定めるべく、 落ち着かない探訪が続いていた。 一所不在、漂泊の日々と言えば、例の芭蕉だが、 あれ、やっぱり、ばせをは「闇の通行手形」を持っていたと考えるのが、 どうにも現実的だと、このごろは確信しつつある。 5年旅券が指し示す、次のわが「居留地」は決まったが、 その後の5年ないし10年「旅券」がどうなるのか、どうするのかは未定である。 が、「観光」を久方に行なった夏の流れが、 結局、実は私の意図しない「実際の観光地」に行き着いた、・・・
(Now後注:あちしは「観光」にゆくたびに、人がわざわざ訪れる「観光地」に棲息して、ゲタばきで普段着か着流しで歩いていたいモンだと考えていたのだが、現在の「ミニミニ観光地」では「効果」がめちゃめちゃ不足なのと、居留地の物理事情でゲタ歩きは困難、安物雪駄は買ったが、・・ケツ局は「意味」なしでアキラメ。。)
・・・ここから、 ともあれ「私が私であることを私が証明できる」ことになった出発を辿ってみよう と、 生まれつきの「落ち着かない日々という安住」第?幕を、 ともあれ構想する落ち着かない日々である。
冒頭写真は、荷物を片付けたあとの温泉宿の部屋。あちしは幼時から、ずいぶん引越し人生であるので、最後の「何も無くなった部屋」の感覚が好みなのどす。。